本来の言葉は前者「価値観」のほう
だけど「価値感」ってのも最近けっこう目にする、これは昔なら誤字にあたるだろうが今はありだよね
むしろ上手いこと表現したなって感じ
(価値観を軸にして語ると)それは生き方っていうか考え方っていうか物事に対する接し方や物差しの違いって感じかな
ちなみに個人的には「観」は深く長い見通しにおけるもの、「感」は浅いというか直感的なもの、読みは一緒だけど双方とも違うもの・・・だと解釈してる
そんな「かちかん」だから会話に出てくるとちょっと厄介
「私のかちかんでは・・・・・」なんて言われると一体どちらの「かちかん」なんだろう??ってなっちゃう
つううかこれらを使い分けてる人はいるのだろうか?
多分居ないよね(笑
でも互いに同じようなシチュエーションで使ってる、それぞれの「かちかん」って表現で
だから余計にでも混乱してる「かちかん」
間違いなく2つ存在する「かちかん」って話
う~ん何だか話が非常にややこしくなってきたな
つうか・・・あれ、何の話をしようと思ったんだっけ??(汗
あぁそうだ何が言いたいかというと何かしら悩んでる時って「価値観」と「価値感」のバランスが悪いんだよね、きっと
だから「価値観」で悩んでる時は「価値感」が助けてくれるはず
「価値感」で悩んでる時はきっと「価値観」が助けてくれる、そう思うんだよね
「価値観」と「価値感」の両立で視野が広がるはず
そう思うのです
色んな相談受けてそう思うのです
「価値観」に縛られてる人は「価値感」が足りない
「価値感」に振り回されれる人「価値観」が足りない
そんなことが多いです
あなたの「かちかん」はバランス良く両立できてますか?
どちらか一方だけになってませんか?
「価値観」と「価値感」どちらも大切です
そんなお話でした
梟 拝
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