棚からぼた餅

通称・・棚ぼた
意味は、皆さん知ってのとおり

この「棚からぼた餅」を工作を介して表すならば、そこに多くの勘違いがあることを知って欲しい

もしあなたが工作を考えてるなら顕著に自身と重ねてみよう

で、何が勘違いかというと・・

棚からぼた餅を落とす役が我々の工作とするなら工作でその意中の餅を落とせさえすれば、後はぼた餅が自分の上に落ちてくる・・というこれ

 落ちるはず
  落ちてくるよ
   落ちなきゃ変じゃん、何処行くの!?

 い~や絶対に自分の上に落ちる!

気持ちは分かる !!!
でも一体何を根拠に ???

じ、実にお受けする相談の約半数はこの勘違いが見え隠れする

 ま、マジで?

はい本当です

絶対に落ちるとは限らない
ぼた餅を落とすために費用を掛ける訳だから、その真剣な思いは理解できる

そこまで決意されただけでも単なる棚ぼたとは訳が違うともいえる

だけど今を見つめ、自身を見つめ、そしてもう一歩先を見つめ歩めないと駄目だと思う

そう、その一歩の歩みが棚の下まで行く作業

それら作業無くての依頼じゃ、極論希望意的観測の棚ぼたと言わざる得ない

その作業とは状況分析、自己改革などなど、結果それが輝くことに結びつくのがベストなパターン・・かな

だって棚の下にいないと落とした餅は地べたに落ちちゃうじゃない
もしくは誰か他の人の上や目前に落ちちゃうかも・・

だからもう一歩先を見て棚の下に皿持って行っておこうと言ってるの

自分のぼた餅にするには、ぼた餅が落ちるであろう場所とり(関係・魅力)が必要不可欠だということ

折角大金使って落とせたとしても、それが他人の上に落ちた日にゃ、一体何のために落としたの!?ってなことにもなる

どう?

意味分かる?

つうか、ここまで考えれてますか?

誰の為にでもなく自分の為の工作ですからね

環境を変えるとはそういうことなのです
安易な他力や希望的観測では
何も得られない危険があると言うことです

なので自らも変わる勇気と決意を持つ認識が必要なのです

それが自らの足で棚の下まで行くことです、皿も用意するということです

そこまで行っていないと落ちた餅は決してあなたの手元には来ないということです

そこまで出来て始めて棚ぼたの権利を得れるのです

その過程が輝くことの必要性や関係の適正化となるわけ・・です

真剣な悩みを、棚ぼたなんて言葉で表現するのは失礼かもしれない・・

でもこの図式が多くの方に当てはまるだけに言わせて頂かなくてはいけないと考え書きました

希望的観測だけでは残念な棚ぼた狙いになっちゃうの・・という仕組みを言いたかったのです

この業界で甘い言葉の氾濫と共に工作を身近に感じる人が増えてると感じてるだけに・・です

 おいおい、もっと上手な表現は無かったのかよ!?
 ほんとデリカシーの無い奴だな梟は!!

すみません・・
でも悩んでる皆さんの真剣な想いを傷つけたり
踏みにじる意図は一切ありませんのでご理解ください

その上で
現状からの脱却のヒントになれば・・と考えます

どうせ頑張るならば
ここから始めましょう!

いやここから
始めないといけない!・・と、いうお話でした


梟 拝
関連記事