裸の自分が本当の自分
いくら着飾ろうと誇張しようとも中身は絶対に変わらないのだ
中身ないと幸せは絶対に訪れない
雲の上に家を建てれないのと同じことのように・・
だけど街には多くの虚飾があふれてる
あふれる虚飾をとめることは誰にも出来ないだろう
だけどその虚飾の波に流されたり溺れたりしないことは不可能でないと考える
等身大の自分を見失わなければいいだけの話なのだから
しかしながらこの虚飾とは中々の難敵である
本質を持たないだけに至る所に蔓延るのだ
だから溺れるつもりなどサラサラなくても気がつけば沖合いまで流されてて簡単には戻れない・・ってな状況も珍しくはない、そして溺れる
では虚飾は悪なのかと問われれば少し悩むが今の私の見識では、答えはNO・・と、なるだろう
それは虚飾を虚飾として楽しむことは趣向や嗜好であって全く問題はないからである
これらの分別の有る者は、虚飾を楽しめるのだが分別の無い者は、楽しむどころか自らを苦しめる要因となっていることにすら気づかず虚無を追い続けることとなるのだ
そうなるとこれは辛い
相当に辛い、そして痛い
何故ならば虚飾を虚飾と知らず、鼻先に人参ぶら下げられてそれを追い続ける馬とおなじなのだから、息を切らせ走れど、その先に心休まるゴールなどあるはずもなく・・
となれば、かっこいいサラブレッドだと見とれてたけど、よく見ると何だか間抜けじゃん・・
どうよ?こんな感じで羨望で憧れ見上げていた人や物が突然滑稽に見えた経験ありませんか?
中身と外側が比例せず、バランス悪く、上滑りな言動や印象で幻滅したことあるでしょう?
虚飾を虚飾と見破れた瞬間や経験あるでしょ!?
実はこの感覚を経験しない限り、虚飾の流れで沖合いまで流されてたら帰れないのだ
この感覚を認識できたなら頑張って泳いだら帰る事が可能になる!
その時こそ裸の自分になるチャンス!!
勇気を出して虚飾を脱ぎすてよう!
さあ裸になろうじゃないか!
そして泳ごう!!
べ、別にヌーディストビーチを頭に思い描いてなんかいませんよ
いくら長雨でこの夏に目の保養が出来なかったからって・・
いけね!そんな話じゃないの!!
なので服を、いや全ての虚飾を脱げなくても流されないように足をちゃんと地に付けれるところまでは泳いで帰ってきてね・・と言ってるの!
さすれば何かにつけて本質を見失わないだろうし幸せを得やすくなると考えるのです
他人の振り見て我が振りなおせ・・
これって大事な教科書なんだよね
梟 拝